人はパンを食べると200年以内に100%の確率で死んでしまう
人生の時間って・・
自分は我慢強い方だと思う。
自分の時間以外にも、人から言われたことや頼まれたことを含めて、長い間
続けいたりします。
何かの役を引き受けたり、ボランティアに近い形で休日を使ったり・・
すでに自分の存在意義がないような雑用でも、惰性的にかつ忍耐強く続ける癖があるようです。
ところが最近、時間の有限さに気づいて「この我慢強さは自分の人生に必要なのか?」と思ったんですよ。
きっかけは・・
「人はパンを食べると200年以内に100%の確率で死んでしまう」という話をどこかの記事で読んで、そう思うようになったんですよね。
その話は「当たり前でしょ」とネタ的に読むものだったんだと思いますが、200年とは言わずとも、「あと50~80年後には、今周りにいる人たちはほぼ全員、この地球上からいなくなっている」事に気づいちゃったんです。
地球にいる時間が有限でとても短いと急に考えるようになりました。
やるべきことは・・
そうなると、これまでいろんな人を見て憧れ、人生の目標にして行動し、その「自分以外の何者かになる」という事がとても意味のないことのように思えました。
「テニスの選手になる」「勤め先で出世してゆくゆくは社長になる」「大金持ちになっていい車、いいヨット、プライベートジェット持つ」等、それは本当に自分が望んでいることなのか?と。
それらを目標にして自分の人生を懸けて実現させることに何の意味があるのだろうと思っちゃったんですよね。
実現させたところで、それは「他人が羨む人生」であり、羨んでくれる人がいなければ成り立たない、人生を懸けてやるべきことではないかなと。
人生の主目的ではなく、思考現実化ゲームをクリアした時のご褒美ぐらいに軽く考えるくらいがちょうどいいのではないかと思います。
そっちの方がかっこいいし、楽しそうで気負わず生きていけるし。
これまで、他の人からの情報で目標を作ったり、依頼されて自分の時間の提供を惰性で続けていた事に気づいてしまったんですよ。本当に自分のやりたい事をする時間を我慢して続けていたことに・・
自分軸で生活するために・・
最近自炊をするようになって、日々の生活を丁寧に送ることがとても気持ちよく感じるようになりました。
「丁寧さは」自分のことは自分でやって、最小限のモノで快適に過ごす、あたりまえのことなんですが、できてなかったんですね。これが。
そして丁寧に暮らすことを意識すると、「断捨離」「シンプル」「ムダの排除」「掃除」のキーワードが必ず出てきます。それは物質的なこと以外にも、思考や行動にも言えることで、それらがシンクロするととても気持ちがよいのです。
例えば「モノ」
最近では同じ機能のモノが100均からブランド品までピンキリであります。
これまでは、「ブランド品」でなるべく高機能なものを選びがちでした。
そこには他人が見た時の「評価」を気にしてました。見栄ですね。
本当は自分が使うモノなので、他人の目を気にしてブランド品を買う必要はなく、自分が気に入った機能性の高いものがあればいいのですが。
また「モノの機能」も、「便利なもの」はほぼ不要で、色んなものをどんどん代用し、類似機能のものは断捨離する。その代わり身の回りに置くものは、質の良い(多少高価な)ものだけを選び、長く使い続ける方が気持ちいいんです。
結果、見栄を捨て、機能で選び、無駄のなさを基準にモノを選ぶことで、とてもシンプルな生活になるんですよね。
そんな感じで今、キッチンは徐々に洗練されつつあります。
これをきっかけに、モノだけでなく、場所、人間関係、趣味、考え方、行動、思考まで、見栄を捨て、断捨離&お掃除でシンプル化を極めようと思ってます。
我慢は不要、残りの人生は考え方を変えて・・
我慢をして他人のペースで生きることを続ける限り、自分のやりたい事をする時間は足りない気がします。なぜならその時間の使い方に自分が納得しないから。
もう昔のように「我慢が美徳」という時代ではないんでしょうね。
我慢して誰かの言うことをするのではなく、自分のかじ取りは自分でする。そしてその責任はすべて自分がとる。自分の人生だから当たり前なんですよね。
中島みゆきの「宙船(そらふね)」のまんまですよ。
昔、歌詞が頭で理解できても、実感してないから自分の行動を変えるまでには至らなかったんですよね。でも今はよくわかります。
残された時間は意外と少ないですが、やり切るための時間は十分あると思って、楽しみながら過ごそうかと思ってます。
というわけで、人生の最終目標は?
「パンダ先生のように何も持たず、自分の思うことをする。」ですかね。
要はやればいいんですよ、やれば。
ではまた。